「ありがとう」(1・23)

同級生の話。
同級生とのふれあい。

小さな町には五つの中学校があった。
田舎のこととて、広さでいえばかなり広域だ。
それぞれが各中学校を卒業した。
あの頃は半数の子が高校へ進学した。
そこで友達になった。
15歳まで同じ村の同級生と一緒に学んだ、遊んだ。
高校生になって、各中学校の同級生と友達になった。
友達の輪が広がった。
行動半径も広がった。
足は自転車だった。
自転車で何キロも走って、遺跡を見に来た人もいる。

彼のことは殆ど知らなかった。
同じクラスになった事はなかった。
私の親友が、親しそうに彼のあだ名を喋るのを聞いていた。
何故そういうあだ名がついたのか、聞かなかった。
高校生活はそれなりに楽しかった。
3年間は、瞬く間に過ぎた。
社会人になった。
彼は東京へ就職した。
私は田舎であれやこれややったが、どれも長続きしなかった。
腰が据わっていないというか、意志が弱かった。
ただ山が好きで、暇さえあれば、地元の山へ登った。
山は懐が深くて、何でも受容してくれた。
「私が死んだら・・この山に散骨して欲しい」そこまで好きな山だった。
彼が帰省して私を訪ねて来た。
愛とか恋とかそんな感情はなかった。
彼には淡い恋心があったようだ。
自分が登った山のバッチを沢山持っていた。そして何個かそれを貰った。
それを大事にしたのは、山が好きだからだった。
箪笥の宝箱にはまだそのバッジがあった。
その時、彼は言った。
「東京へ出てこないか?」
私は即答はしなかったが、山ばかりに行っている私が都会では生活できないだろう・・と思った。
その後、音沙汰がなくなった。
私も年頃になって適齢期に結婚した。
あんなに嫌っていた「都会」へ嫁いだ。

高校の同級会は、時々催された。
しかし一番残ったのは、3年前のミニ同級会に誘われたことだ。
乗車券に特急券、座席指定付きの切符が送られてきた。
そこまで誘ってくれて、喜んで出かけた。
彼もメンバーに加わっていた。
寿司やで昼食後、カラオケを楽しんだ。
右も左もわからない私を、東京駅まで迎えに来てくれた。
帰りには品川駅まで、見送ってくれた。
その帰りの電車の中で、改札口前で・・たくさん話した。
「あの時に振られて、なにくそで頑張った。お蔭様で自分の会社を設立した」
私は嫌った訳ではなかったし、変な付き合いでなかったので、素直に彼の話を聞いた。
品川駅の改札口前で、長く喋った。

翌年に同級会が盛大に催された。
かなりの参加だった。
2泊3日の同級会だった。
私の体調は最悪だった。
下痢が続いて、止まらなかった。
「当日になってキャンセルしてもいいよ」幹事がそう言ってくれた。
ありがたく、薬を沢山飲みながら・・参加した。
「高尾山」と「屋形船」がメインだった。
体調が悪いと騒ぐ私のために、高尾山へ行くのに彼は杖を沢山持って来た。
「大丈夫、高尾山は私の庭みたいなもの。一か月に何度も登っている」
私は杖を借りて、歩いて頂上に到着した。
10人ほどだったろうか?歩いた人は。
他の人はケーブルで登った。
山は好きで足に自信があったが「私も登る」と、意地で頑張った。
その後ろ盾として、彼が居たことは否めない。
同級会が思い出として残った。

しかし哀しいかな、彼の訃報を聞いた時は耳を疑った。
「うそー!」
彼の身体の中にはガンがあって、彼を蝕んでいた。
それを知っていたのか、隠していたのかは分からない。
5月の同級会のあと、3か月後の8月に彼は亡くなった>
社員より早くに会社に出勤し、見回り・掃除をして従業員を待つそんな社長だった。
今年の8月で丸2年になる。
「ありがとう」をいっぱい送ります。
そして「ごめんなさい」