「ありがとう」(2017・1・4)

静かに一年が過ぎた。
静かに新しい年がやって来た

さざ波程度の波乱はあったが、大したことない。
大事は「いのち」に関わることだ。
一番の恐怖は「いのち」に関わることだ。
だから懸命に生きている。
ただ、一生懸命過ぎて、自分を守ることに専心する人もいる。
私がそうだった。
「自分を守る」だけで、他人の心まで想いやれなかった。
今も大して変わりないが、それに気づいた。
気づいただけでも、大きな変わりようだ。
「亀の甲より歳の功」だろうか?
私に関わった人達、ありがとう。

小学校5年生と6年生の時の担任の先生の話。
「持ちあがり」で、2年間授業を受け持った先生がいた。
中年の彼は、脂が乗った先生だった。
ベテランと言うのだろうか?
男くさい、人ではなかった。
淡々と授業をこなし、いつもそばへ寄ると「ぷ~ん」と香水?の匂いがした。
その匂いにも慣れて、2年間接したが、決して嫌な臭いではなかった。

しかしその頃の私は、同級生から一斉いじめに遭っていた。
親戚の同級生と仲がいいからの理由があったらしい。
しかし親戚同士で、仲がいいのは当たり前なのに。
男の子にしたら、面白くなかったのだろう。
いじめの対象は私が主だった。
下校時にみかん畑で待ち伏せしては、殴る蹴るのいじめに会った。
何をどうすれば、許してくれるのか分からない。
私が悪いことをした訳でもないのに「妬いて」女の子に暴力で満足したのだろうか?
それを担任の先生が気づいたのだろうか?
「学校に残るように」と、何度も言われたが、私はひとりで下校した。
私はてっきりお説教をされるものだと、勘違いしていたようだ。
小学校を卒業した春休みに先生のお宅へ招待された。
先生のお気に入りの5人だった。
奥さんの手料理は、珍しくておいしかった。
帰り際に「また、遊びにおいで・・」と、言ってくれた。
しかし中学・高校・社会人になっても行かなかった。
あの「おいで」を忘れていたし「今」を生きて行くのに四苦八苦していた。
追記
あの頃、同姓からのいじめも凄かった。
暴力はなかったが、きたない言葉でののしられた。
「先生の花だ」と。
花という字を解体すると「ヒイキ」になる。
私は何も悪い事をしていない。
ヒイキは先生に可愛がられるが、自分の責任ではない。
あまり物事を深く考えない子供だった。
大人になって、中年になって・・同級生から言われた。
男の子からは「ごめんな、いじめてごめんな」畳みに頭を擦り付けて
謝った。「手をあげてよ!もう時効だよ」
女のおばさんになった同級生のひとりが言った。
「どーしてあんたはあの時に抵抗しなかったの?
私はいじめられそうになった時に、大声で怒鳴ってやったわ!
そして顔をめがけて砂を投げたわ!」
彼女は気丈な性格で、みんなから「おばはん」と呼ばれていた。
おばはんは同級生の頭(かしら)のような存在になっていた。
気弱な私を、はがゆく見ていたのだろう。
性格はなかなか変わらない。変われない。
今も子供の頃とちっとも変らない気弱である。
従っていつも逃げ腰である。
人を押しのけて、前に出ることは出来ない。

田舎に帰省した折にふっと思い立った。
「そうだ、恩師を訪ねてみよう!」
2年間、担任した先生宅へ行った。
「女房が今入院していまして・・」
先生は私の顔を見て、すぐには思い出してくれなかった。
仕方がない。半世紀以上も会っていなかった。
石が趣味だと、玄関や廊下にいろいろな石が置いてあった。
広い庭を眺めながら、会話をした。
それから・・絵手紙・手紙交換が始まった。
私が絵手紙を出したが、返事は期待していなかった。
それが思いもよらず、絵手紙で還って来た。
先生は、私を思い出してくれたのだろうか?
少し、認知症が入っているかのように見えたが、ちゃんと手紙は
我が家に届いた。
絵手紙にはこう書いてあった「雑草が すき放題に の
びており」
先生からの絵手紙は、部屋の壁に貼ってある。
この添え書きは、まさに今の私である。
先生には先見の明があったのだろうか?
亡くなって、もう10年近くになるだろう。
先生の遺品は、今では私の貴重品になっている。
これだけは捨てられない・・断捨離、終活の年齢に達したわたし。
先生からの「頑張れよ」の声が聞こえるようだ。
もっと早くに先生宅を訪ねていたらよかったのに・・とは想うけれど。
「ありがとう」をいっぱい。





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